伊豆大島の最南端、差木地地区を出て、
再び大島一周道路を通って、
今度は島の東側へ。
↑
波浮港に到着。
↑
以前は栄えていた漁港のようですが、
今はあまり船は停まっていませんね。
↑
港の裏手にある路地。
食堂や民宿があって以前は賑わっていたようですが、
訪れたときは全く人の気配がしなかったです。
ちなみに、波浮港周辺には車は入れません。
バス停近くに駐車スペースが2台ほどあったのみ。
みなさんどうやってここまで来てるんでしょう?
あまりに人の気配がなくて不安になりましたが、
とりあえず車を停めて散策しました。
↑
路地を抜けると、崖の上へ続く石段がありました。
文学の散歩道だそうで、途中石碑がいくつも置いてありました。
↑
港屋旅館です。
伊豆の踊り子の舞台にもなった旅館とのこと。
自由に見学できるようなので入ってみました。
↑
入口の戸を開けると、普通の住宅のように思えました。
奥に人の気配を感じたので進んでみると。。。
↑
蝋人形です。帳簿でも付けているのでしょうか?
↑
奥の部屋では男性一人客が囲炉裏のそばでお酒を飲み、
女中さんがその相手をしているのでしょうか?
↑
二階に上がると、広い座敷で宴会が開かれていました。
↑
その奥では稽古している様子も。
蝋人形を置いて当時の様子を再現している観光施設が
最近は増えてきているのでしょうか。
(愛媛の内子にある商いと暮らし博物館も
人形が多かったですね。→ blog)
それにしても、他の観光客がいないばかりか、
施設のスタッフすら一人もいないなんて、
蝋人形に囲まれてちょっと怖さもありました。
↑
再び石段を登ります。
波浮港のすぐ裏手は山なので、
軽い山登り気分でした。
↑
石段を登り終えて、ようやく丘の上へ。
見えてきたのは旧甚の丸邸です。
先ほどの港屋旅館の常連客でもあった、
網元のお屋敷跡です。
↑
お庭には大きな石碑がありました。
↑
住宅の外壁はなまこ壁です。
↑
住宅の内部を自由に見学できました。
(こちらもスタッフの常駐はなし)
家具がないためか、広い和室が、
がらーんとしてました。
↑
屋根裏では蚕を育てていたようです。
こちらも、がらーん。
港屋旅館だけでなく、こちらにも、
蝋人形を置いて欲しかったです。
↑
旧甚の丸邸の隣には古民家を改装した
カフェがありました。(詳しくはこちら)
ちなみに、この周辺のエリアは集落になっていて、
住宅や郵便局、教会などもありました。
私達は波浮港に車を停めて石段を登ってきましたが、
一周道路から直接ここへ来ることも出来るようです。
↑
集落を抜けて、小高い丘の上へ。
こちらは龍王崎灯台鉄砲場。
江戸時代には黒船来襲に備えた鉄砲場として、
第二次大戦では監視所として利用された場所だそうです。
↑
もちろん見晴らしは最高です。
↑
奥まった場所に小さな灯台がありました。
↑
集落の中で見かけた波浮七福神。
観光マップには掲載されていませんが、
気になったので中へ入ってみました。
↑
お墓!?と思ってしまいましたが、
七福神などの石像が置いてありました。
帰宅後にネットで調べてみたら、
個人の所有物だそうです。
自由に入れるように開放されているのなら、
もっと宣伝しても、と思ってしまいました。
↑
住宅街の路地。
写真では見えづらいですが、猫が数匹集まってました。
↑
階段を下って、波浮港に帰ってきたら、
中高生男子たちがこの船に上がって遊んでました。
漁港に停まっている船が遊び場なんて素朴な感じがしました。
さて、伊豆大島の南端まで来たので、
これから東海岸を北上していきます。
↑
見えてきたのは筆島。わかりますかね?
海からにょきっと出ている小さな島です。
↑
大島一周道路から海方面へ下る脇道があったので、
下ってみたら、大きな駐車場がありました。
この駐車場の奥はビーチになっていて、
夏は海水浴場なのかもしれません。
↑
崖下の駐車場から丘の上を見上げたら、
巨大な十字架を発見しました。
↑
十字架のある丘に登ってみたら、
隣にはオタイネの碑がありました。
江戸時代に大島に流されたキリシタンの碑だそうです。
今はジェットフェリーがあるので大島は近く感じますが、
当時は辿り着くのも大変で、離れ小島だったんでしょうね。
↑
筆島を後にして、やってきたのは月と砂漠のルート。
三原山の麓に広がる砂漠が見られる絶景ポイントへ通じる道、
だそうですが、とにかく道路が狭くて大変でした。
1台通るのがやっとで、対向車が来ないことを祈るばかり。
↑
しかも、進むほどの霧がひどくなっていって、
前が全く見えません。
↑
駐車場に辿り着いて、この先は徒歩で、
ということですが、この霧では断念しました。
辺りに何もない砂漠をこの霧の中で歩いたら、
遭難しかねませんから。
↑
次に進んだのは、あじさいパノラマルート。
通りの両側にあじさいが植えてあって、
6月は美しいはずなのですが。。
今年は遅かったんですかね。
東京などでよく見るあじさいと違って、
1本1本が大きくて、野生的な感じがしました。
↑
ようやくホテルに到着。
宿泊するのは三原山の麓にある、
大島温泉ホテルです。
フェリーを運航している東海汽船の経営なので、
フェリーとセットのプランが出ているようです。
↑
ホテル前のお庭から夕日を。
写真の中央に見える小高い山は富士山です。
こんな離島からでも富士山は見えるんですね。
驚きました。
(ちなみに、ホテルの露天風呂やレストランからは、
三原山が見えるはずなのですが、霧で見えませんでした。
このホテルの一番の売りが堪能できず、残念。。)
再び大島一周道路を通って、
今度は島の東側へ。
↑
波浮港に到着。
↑
以前は栄えていた漁港のようですが、
今はあまり船は停まっていませんね。
↑
港の裏手にある路地。
食堂や民宿があって以前は賑わっていたようですが、
訪れたときは全く人の気配がしなかったです。
ちなみに、波浮港周辺には車は入れません。
バス停近くに駐車スペースが2台ほどあったのみ。
みなさんどうやってここまで来てるんでしょう?
あまりに人の気配がなくて不安になりましたが、
とりあえず車を停めて散策しました。
↑
路地を抜けると、崖の上へ続く石段がありました。
文学の散歩道だそうで、途中石碑がいくつも置いてありました。
↑
港屋旅館です。
伊豆の踊り子の舞台にもなった旅館とのこと。
自由に見学できるようなので入ってみました。
↑
入口の戸を開けると、普通の住宅のように思えました。
奥に人の気配を感じたので進んでみると。。。
↑
蝋人形です。帳簿でも付けているのでしょうか?
↑
奥の部屋では男性一人客が囲炉裏のそばでお酒を飲み、
女中さんがその相手をしているのでしょうか?
↑
二階に上がると、広い座敷で宴会が開かれていました。
↑
その奥では稽古している様子も。
蝋人形を置いて当時の様子を再現している観光施設が
最近は増えてきているのでしょうか。
(愛媛の内子にある商いと暮らし博物館も
人形が多かったですね。→ blog)
それにしても、他の観光客がいないばかりか、
施設のスタッフすら一人もいないなんて、
蝋人形に囲まれてちょっと怖さもありました。
↑
再び石段を登ります。
波浮港のすぐ裏手は山なので、
軽い山登り気分でした。
↑
石段を登り終えて、ようやく丘の上へ。
見えてきたのは旧甚の丸邸です。
先ほどの港屋旅館の常連客でもあった、
網元のお屋敷跡です。
↑
お庭には大きな石碑がありました。
↑
住宅の外壁はなまこ壁です。
↑
住宅の内部を自由に見学できました。
(こちらもスタッフの常駐はなし)
家具がないためか、広い和室が、
がらーんとしてました。
↑
屋根裏では蚕を育てていたようです。
こちらも、がらーん。
港屋旅館だけでなく、こちらにも、
蝋人形を置いて欲しかったです。
↑
旧甚の丸邸の隣には古民家を改装した
カフェがありました。(詳しくはこちら)
ちなみに、この周辺のエリアは集落になっていて、
住宅や郵便局、教会などもありました。
私達は波浮港に車を停めて石段を登ってきましたが、
一周道路から直接ここへ来ることも出来るようです。
↑
集落を抜けて、小高い丘の上へ。
こちらは龍王崎灯台鉄砲場。
江戸時代には黒船来襲に備えた鉄砲場として、
第二次大戦では監視所として利用された場所だそうです。
↑
もちろん見晴らしは最高です。
↑
奥まった場所に小さな灯台がありました。
↑
集落の中で見かけた波浮七福神。
観光マップには掲載されていませんが、
気になったので中へ入ってみました。
↑
お墓!?と思ってしまいましたが、
七福神などの石像が置いてありました。
帰宅後にネットで調べてみたら、
個人の所有物だそうです。
自由に入れるように開放されているのなら、
もっと宣伝しても、と思ってしまいました。
↑
住宅街の路地。
写真では見えづらいですが、猫が数匹集まってました。
↑
階段を下って、波浮港に帰ってきたら、
中高生男子たちがこの船に上がって遊んでました。
漁港に停まっている船が遊び場なんて素朴な感じがしました。
さて、伊豆大島の南端まで来たので、
これから東海岸を北上していきます。
↑
見えてきたのは筆島。わかりますかね?
海からにょきっと出ている小さな島です。
↑
大島一周道路から海方面へ下る脇道があったので、
下ってみたら、大きな駐車場がありました。
この駐車場の奥はビーチになっていて、
夏は海水浴場なのかもしれません。
↑
崖下の駐車場から丘の上を見上げたら、
巨大な十字架を発見しました。
↑
十字架のある丘に登ってみたら、
隣にはオタイネの碑がありました。
江戸時代に大島に流されたキリシタンの碑だそうです。
今はジェットフェリーがあるので大島は近く感じますが、
当時は辿り着くのも大変で、離れ小島だったんでしょうね。
↑
筆島を後にして、やってきたのは月と砂漠のルート。
三原山の麓に広がる砂漠が見られる絶景ポイントへ通じる道、
だそうですが、とにかく道路が狭くて大変でした。
1台通るのがやっとで、対向車が来ないことを祈るばかり。
↑
しかも、進むほどの霧がひどくなっていって、
前が全く見えません。
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駐車場に辿り着いて、この先は徒歩で、
ということですが、この霧では断念しました。
辺りに何もない砂漠をこの霧の中で歩いたら、
遭難しかねませんから。
↑
次に進んだのは、あじさいパノラマルート。
通りの両側にあじさいが植えてあって、
6月は美しいはずなのですが。。
今年は遅かったんですかね。
東京などでよく見るあじさいと違って、
1本1本が大きくて、野生的な感じがしました。
↑
ようやくホテルに到着。
宿泊するのは三原山の麓にある、
大島温泉ホテルです。
フェリーを運航している東海汽船の経営なので、
フェリーとセットのプランが出ているようです。
↑
ホテル前のお庭から夕日を。
写真の中央に見える小高い山は富士山です。
こんな離島からでも富士山は見えるんですね。
驚きました。
(ちなみに、ホテルの露天風呂やレストランからは、
三原山が見えるはずなのですが、霧で見えませんでした。
このホテルの一番の売りが堪能できず、残念。。)
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